形ないものの再現

Chapter 1  音響効果とサウンドスケープの回復

2015年4月、火災前のノートルダム大聖堂でのサウンド・レコーディング © Peter Stitt & Brian FG Katz, CNRS, 2015.

火災後のパリのノートルダム大聖堂でのサウンド・レコーディング © Christian Dury, Chantier CNRS, Notre-Dame, Groupe Acoustique, 2020.

大聖堂のデジタル音響モデル © Bart Postma & Brian FG Katz, Chantier CNRS Notre-Dame, Group Acoustique, 2020.

ブライアン・カッツ (訳:河野俊行)

ノートルダム大聖堂の火災は、音響遺産の脆弱性を浮き彫りにした。音響は、それが無形的な次元をもつとしても、その場所の建物と空間のレイアウトに、依存する。それは周囲の物理的環境の産物であるが、刹那的なものである。しかし音響測定、シミュレーション、デジタル復元によって、ノートルダム大聖堂のような場所の音響を記録することが可能になると同時に、科学者 (音響学者、考古学者、歴史学者、音楽学者など) や一般の人々が、失われた音響を探求し発見することも可能になる。

これまで、ノートルダム大聖堂の音響パラメータに関するデータについて、関心は向けられていたものの、ほとんど収集されてこなかった。また収集されたデータも一致しない。1987年の録音が再現され、また2015年には新しいシリーズの録音が行われた。この2回の結果を比較すると、火災前は大聖堂の残響時間がわずかに減少する傾向にあった (8%)。最後に、修復作業の一環として2020年に実施された他の測定では、2015年の調査時と比べて残響時間が大幅に減少(20%)していることが判明した。複雑な音響条件を理解するためには、数値シミュレーションと知覚分析が信頼できる方法であることが最近の研究で証明されている。このため、2015年の測定結果から、ノートルダム大聖堂のコンピュータシミュレーション用の幾何学的音響モデルが開発された。このモデルを基準とすることで,火災の影響をより新しい測定値で検証できるだけでなく,修復工事において、大聖堂の音響に影響を与える要素のうち,材料や仕上げに関する決定の結果を予測することもできる。つまり、この音響モデルは、復元工事で採りうるより良い選択肢を研究するために使用することができる。

また、聖職者、オルガン奏者、聖歌隊のメンバーを対象としたアンケート調査を実施中で、この調査は、関係者が焼失前の大聖堂の音響品質をどのように認識していたかを把握し、修復の指針となる理想的な音響条件を特定することを目的としている。実際、大聖堂の音響は、空間の再構成や建物内で行われる作業によって、時間とともに絶えず変化する。この音響モデルは、850年以上前に建設されて以来の大聖堂の音響の変遷を探るためにも使用できる。大聖堂の多くの要素は、様々な建築物の改築、フランス革命時の損傷、特定の宗教的または政治的イベントに使用される装飾の変化などによって進化してきた。ノートルダム大聖堂の音響効果は季節によって変化するが、歴史的に見ても、音響が不変であったことはない。むしろ、環境や人間が居ることで変化する、形のない物体のようなものなのである。音響モデルとそれが作り出すサウンドシミュレーションを歴史家の研究と組み合わせることによって、かつての大聖堂の音響状態を探り、体験することができる。

Chapter 2  オルガンを鳴らす

ロベール・ド・コット (18世紀) が設計したクワイヤのオルガンと聖歌台をギャラリーから見る © Myrabilla, Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0, février 2013.

パリのノートルダム大聖堂の大オルガン © Frédéric Deschamps, Wikimedia Commons, Domaine public, octobre 2006.

イザベル・シャーヴ (訳:河野俊行)

ノートルダム大聖堂の修復には、オルガンの修復も含まれている。
大聖堂では、1198年にはすでにオルガンが使用されていたことが証明されている。現在は2台のオルガンが設置され、一つはトリビューン (階上楼) に、もう一つはクワイヤに置かれている。当初、典礼の伴奏や文化的な楽しみのために、トリビューンでは50人の正オルガニストが交代で演奏していた。2019年の火災時は、トリビューンの大オルガンには3人の正オルガニストが、さらにクワイヤのオルガンには2人の正オルガニストが就いていた。

1403年、現在大オルガンがあるトリビューンに、ゴシック様式の大オルガンが設置された。この中世の大オルガンは、3世紀以上も鳴り続けるという、並外れた寿命を誇っていた。1730年から1733年にかけて、このオルガンは壮大なケースを持つ古典的なスタイルで再建された。19世紀のオルガン製作者アリスティド・カヴァイエ=コルは、建築家ヴィオレ=ル=デュックが大プロジェクトを進めている間、18世紀の記念碑的なケースに収められた壮大な交響的楽器を作成する構想した。このプロジェクトは、1867年にパリで開催された万国博覧会に合せて、その開幕に先立って発表された。この楽器は20世紀を通じて改良が加えられ、宗教的、文化的な目的のために頻繁に使用された。大聖堂850周年を記念して、新たなキャンペーンが行われ、115個のストップと7952本のパイプで構成されるこの楽器は、2014年に、56音の5つの鍵盤と30音のペダルボードに分配された。

クワイヤのオルガンは19世紀の作品である。最初は1841年と1844年に作られた2つのオルガンがあったが、1863年にヴィオレ=ル=デュックが設計したネオゴシック様式のケースに収められた、聖歌隊席の上に設置された新しい楽器に置き換えられた。1911年には全面的に復元され、1966年に再び大規模な修復が必要となったが、修復不可能と判断された。オルガン製作者のロベール・ボワソーは、1911年に作られたオリジナルのケースと数本の木製パイプを取り換えて、新しい楽器を製作した。工事は1969年5月に完了した。定期的にメンテナンスが行われ、日常的に使用されていたが、2010年に完全に再建された。

2019年4月15日の火災では、鉛を含んだ煤が両楽器に付着した。2020年8月初旬、大オルガンのコンソールが取り外され、2020年12月9日には8000本のパイプの解体が完了した。他方、クワイヤのオルガンは、聖歌隊席を火から守るために掛けられた水と、ヴォールトから流れ落ちた水によって深刻なダメージを受けた。金属製のパイプとケースの木工品は90%しか再利用できず、コンソール、木製のパイプ、送風機と伝達システムは再利用できなかった。

Chapter 3  ノートルダム大聖堂の合唱団

2017年10月22日、ノートルダム・ド・パリ聖歌隊スクールの聖歌隊 © Léonard de Serres, 2017

パリ・ノートルダム大聖堂でのクリスマスコンサート (2020年12月24日) © Henri Chalet, 2020

イザベル・シャーヴ (訳:河野俊行)

ノートルダム大聖堂聖歌隊学校は、12~13世紀に大聖堂と同時期に創設されたもので、貴重な無形の音楽遺産を保護している。これはノートルダム大聖堂聖楽協会によって運営されている。大聖堂内で行われるすべての礼拝の音楽を担当し、また大聖堂内の様々な音楽活動を統合している。子供から大人までを対象に、独唱や合唱の入門からプロの養成まで、一貫した教育プログラムを提供している。聖歌隊学校で教える分野とレパートリーの多様性は他に例をみない。またグレゴリオ聖歌のレパートリーと中世音楽、そしてこれらの音楽と建築との関係についての重要な研究も行っている。大聖堂内の音響は一様ではないので、音楽の「空間化」というコンセプトにも取り組みながら、合唱団は動き回ることで異なる音の平面を探すことができる。また、レパートリーに応じて、彫像や特定の作品の前に移動して歌うこともできる。

聖歌隊が最後のスターバト・マーテル(悲しみの聖母)を歌ったのは、2019年4月14日(日) のパーム・サンデー・ミサのためであった。この歴史ある組織は、その翌日に発生した火災と、COVID-19 パンデミックによって引き起こされた財政難によって深い影響を受けた。火災の数ヵ月後、約60人の従業員を抱えていた聖楽協会は、8割の従業員を解雇しなければならなかったのである。

火事以来、大聖堂で行われた観客のいない儀式は3回だけだった。聖歌隊は、2020年のクリスマスにのみこの建物に戻り、聖歌隊のディレクターと8人の歌手、この日のために持ち込まれたポジティブオルガンを弾いたオルガニストのイヴ・カスターニェ、ソプラノ歌手のジュリー・フックス、チェロ奏者のゴーティエ・カプソンを伴ったコンサートを行った。

聖歌隊は、中世のパリ大聖堂の聖歌隊長や、12~13世紀のポリフォニストであるレオニンやペロタンの知識や技術を受け継いでいる。グレゴリオ聖歌は、フランスで唯一グレゴリオ聖歌に命を吹き込むグループである聖歌隊の訓練において非常に重要な位置を占めているが、それにとどまらず聖歌隊は800年間の音楽を網羅するレパートリーを誇っている。このように大聖堂の石と同じくらい古い音楽レパートリーを持ち、教育プロジェクトの質の高さと合唱技術の伝承への投資で有名なこの合唱団は、実践のための本来の環境を取り戻してこそ、その無形遺産を完全に復活させることができる。

Chapter 4  ステンドグラスと光

トランセプトの北翼のバラ窓と、トランセプト交差部のヴォールトの崩壊の跡 © Dominique Bouchardon, LRMH, 21 juin 2019.

パリ・ノートルダム大聖堂クワイヤのサン・ジョルジュ祭室の右側ステンドグラス。聖ユベール伝説がモチーフ。© Vassil, Creative Commons, 19 décembre 2008

パリ、ノートルダム大聖堂、LRMH (Laboratoire de recherche des monuments historiques) のチームによる西バラ窓の調査 © Alexandre François, LRMH, 14 juin 2019.

クロディン・ロワゼル (訳:河野俊行)

ノートルダム大聖堂が被災した際、すべてのステンドグラスは無事だった。尖塔の落下によってトランセプト (袖廊) の交差部にできたヴォールトの穴から差し込む光と反射光に照らされたステンドグラスは、火災の翌日から新たな表情を見せてくれた。ヴォールトの一部が崩壊し、溶けた鉛が流れ落ち、小屋組みが燃えるという大惨事が起きた後も、無傷のステンドグラスからはまばゆいばかりの色とりどりの光が放たれていたのだ。

ステンドグラスは、色ガラス、鉛、不透明または半透明の絵の具という異なる素材を組み合わせたフランスの芸術である。ステンドグラスは光がないと消えてしまい、微動だにしないが、光の変化が、これらの芸術作品に永遠の動きをもたらす。ある意味では、光が拡散する反射によって、ステンドグラスに第三の次元を提供する。素材の修復が、専門家の技術を必要とする重要で繊細な作業であるならば、色のついた光の流れという形のないものを修復するということを、その初期段階から想定しておかなければならない。ノートルダム大聖堂が望んでいるのは、12~13世紀の強烈で色鮮やかな光なのか、それとも19 世紀のより減衰した光なのだろうか。19世紀には、建物を暗くして信者が瞑想できるようにするために、すべてのステンドグラスの窓に古色仕上げを施すことがよく行われた。

ノートルダム大聖堂の豊かさのひとつは、さまざまな時代に制作されたステンドグラスの多様性にある。それは12世紀から20世紀に及び、13世紀、14世紀、16世紀、18世紀、19世紀のコレクションを通して、ノートルダム大聖堂は、フランスのステンドグラス芸術の歴史を如実に反映している。訪れる人々や信者は、知らず知らずのうちに、ステンドグラスを通して850年以上の歴史を持つこの色とりどりの光を浴びているのである。先人から受け継いだこれらの大作とそれが生み出す光は、倫理規定に従い、可能な限り忠実に修復・保存して、後世に伝えていかなければならない。

Chapter 5  昼と夜の光、ノートルダムの謎に迫る

ノートルダム大聖堂の昼光 © Benjamin Mouton

祭室のグリザイユ技法を用いたステンドグラス © Benjamin Mouton

クワイヤ祭室のグリザイユ技法 © Benjamin Mouton

ステンドグラスが施されたベイ © Benjamin Mouton

ベンジャマン・ムートン (訳:河野俊行)

ゴシックの光
ゴシック建築は光の建築である。オジーブの交差という構造的な発明によって、建築から分厚い壁が取り払われたことで、大きな色付きステンドグラスを入れる窓を開けることができるようになったのだ。ステンドグラスの芸術は開花し、発展した。ノートルダム大聖堂は、12世紀には早くもこの発展に貢献し、13世紀初頭には高窓を長くすることで光のプログラムを拡大した。

変更
14世紀初頭、クワイヤの高窓が透明な窓に変わり始め、さらに下部の祭室の窓も18世紀中頃までに透明にされていった。こうしてゴシック建築の精神とはかけ離れたものになっていった。

火災の際、奇跡的に3つのバラ窓は損傷を免れた。

そして修復
ラシュスとヴィオレ=ル=デュックは、他の大聖堂に保存されている13世紀のステンドグラスや、現存するバラ窓にヒントを得て、聖域に向かう色彩的な進行と、高いベイに向かう段階的な進行を基本とした、均一で厳格なプログラムに従って、ゴシック様式の光を再現した。

下部: 側廊の祭室と後陣の窓は、透明なガラスにグリザイユと色付きの縁取りが施されているが、後陣の3つの祭室は、13世紀の強烈な色彩のメダイヨンで飾られている。

上部:身廊とクワイヤを照らす役割を担うトリビューンは、同一の透明ガラスで埋め尽くされている。身廊部分も透明なガラスで装飾されているが、クワイヤ部分は、大きな人物や幾何学的なモチーフ、植物のモチーフが鮮やかに彩られたステンドグラスが使われている。

ラシュスとヴィオレ=ル=デュックは、建物と典礼の自然な階層構造を調和させ、ガラスと鉛のスケール、グリザイユの節度と色の彩度といった13世紀のステンドグラスの特徴を尊重することに気を配りながら、建物が求め、壁や多色の装飾に反映して様々な色の生きたモザイクを生み出すゴシック様式の光を再現した。

すべての窓は現存しているが、身廊高部では、スケールや色調を崩すことのない現代的な窓に交換されている。

昼光、夜光
太陽光の変化により、昼光と夜光がある。19世紀には、身廊とクワイヤは、高いヴォールトから降りてくる大きなシャンデリアで照らされ、クワイヤの入り口にある高いアーチの縦列配置を強調する見事な「光の冠」によって交差部は完結した。側廊では、燭台がより控えめな光を放ち、空間と時間のヒエラルキーを表現している。

シャンデリアは大アーケードに移され、光の王冠はサン・ドニに避難している。室内照明の強さが徐々に増すことで、昼と夜の微妙なバランスが崩れてしまった。

ノートルダムの謎
火災以降、崩壊したヴォールトから降り注ぐ生々しい白い光が大聖堂の内部に溢れ、建築物と光のバランスを予期せぬ暴力で崩している。逆説的だが、この光によって建築の細部が明らかになることを喜ぶコメントも聞こえてくる。しかし、建築は建物に尽きるわけではない。

ノートルダム大聖堂では、音や匂いとともに、光と色の調和が建築の基本要素となっている。これは、大聖堂の「謎」の一部であり、忠実に復元されなければならない本質的な無形の価値の一つである。

トリビューンのガラス © Benjamin Mouton

南バラ窓 © Benjamin Mouton

クワイヤ © Benjamin Mouton

身廊の近代のガラス窓 © Benjamin Mouton

大アーケードのシャンデリア © Benjamin Mouton

通路の陰影 © Benjamin Mouton

大聖堂の強烈なイルミネーション © Benjamin Mouton

ノートルダム大聖堂の謎 © Benjamin Mouton