生きている大聖堂と共通善

Chapter 1  感情を表現し、意見を述べる

神秘の器 ノートルダム インク、アルシュ紙 (21, 5 x 15,5 cm) © Bernard Duvert, 2019.

クロディ・ヴォワスナ (訳:河野俊行)

誰もが火災発生に動揺し、落胆した。あたかも自分の感情を表現し、誰かと共有するだけでなく、自分の思いの強さを説明しなければならないと駆り立てられているかのように、政治家、文化財保護の専門家、科学者、あらゆる分野の知識人、芸術家、ジャーナリスト、そしてソーシャルネットワークやオンラインメディア上のすべての人が、悲しみ、怒り、驚きを表現し、膨大な量の文章や証言を残した。それはアーカイブとして歴史に残るだろう。また誰もが、ノートルダム大聖堂が意味するものを理解し、自分自身にどう関わるのかを探ろうとして、各々の分析を行った。

私たちは突如として、遺産の持つ力と、遺産が私たち個人の実存を超えて必ず残らなければならないものなのだという考えを発見したのである。大惨事は、人間のわざのもろさ、ひいては私たち自身のちっぽけさ、そしてあらゆるものの有限性を意識させた。人々は大聖堂を、フランスの歴史とフランスの歴史的・文化的な連続性を具現化した場所、また、そこに足跡を残した歴史上の人々との一時的だが直接的な結びつきを体感する場所として思い起こす。またある人々は、伝記に、家族の記憶に、そして身近な存在に刻まれた大聖堂を、見出そうとする。私たちは自分の感情の強さに驚くと同時に、それが他者にも共有されていることに驚愕した。各コミュニティは、自分たちの遺産は他のコミュニティの遺産でもあることを発見し、カトリック教徒は信者ではない人たちが共有していることに感動し、フランス人は世界中の人たちが共有していることに気づいたのである。

誰もが自分の意見を持っていた。尖塔の復元に賛成か反対か。また寄付に賛成か反対かについても激しく議論された。寄付に関するこの議論は、社会あるいは環境に関する他の活動に対する無関心とは対照的であった。これらの意見は、ノートルダム大聖堂のために何をすることもできないという気持ちを表れである。またこれらの意見は、ノートルダム大聖堂が、誰もが享受し、また責任を担いうる共通財であることを確認している。

これらの声や意見に耳を傾けることは、遺産が専門家やプロだけのものではなく、すべての人のものであることを認めることである。したがって、この多層的な声を正当に評価し、そこから聞こえてくる活用に関する専門知識を真摯に受け止め、遺産が真にすべての人の資源であることを確認する必要がある。

Chapter 2  子どもたちの貢献

パリの学生によるドローイングと造形作品のコレクション (Académie de Paris の書籍 ”これがノートルダム” (ac-paris.fr) の表紙を飾る) © Académie de Paris, 2019.

大聖堂の広場で開催された「ノートルダムを描こう」展 © Claudie Voisenat, mars 2021.

「ノートルダムを描こう」展のポスター © Diocèse de Paris, 2020.

クレマン・ゲスラー (訳:河野俊行)

子供たちは、想像力を発揮してノートルダム大聖堂を歴史的なシンボル、廃墟、復活した大聖堂、鳩、聖母、マリアンヌ*などに表現した。このような絵を、パリ市は3歳から11歳までの子どもたちから約1,500枚、そして聖職者は3歳から14歳までの子どもたちから約6,000枚集めた。このプロジェクトには世界中の子どもたちが参加したことは注目すべき事実である。このことは、ノートルダム大聖堂の火災が引き起こした証言や行動のスケールが他に例を見ないものであったことを示している。同時に、このノートルダム大聖堂の絵プロジェクトは、子供たちに対する文化遺産教育や感情のための教育の一環でもある。

火災に対する反響を受け、パリ市の教育部とカトリック教会は、火災数ヶ月後にノートルダム大聖堂と周辺の絵を制作・収集するプロジェクトを立ち上げた。

パリの学校にとって、教育上の課題は明確だった。それは、子供たちがその思いを表現し、想像力を涵養する手段として、絵を描くことを教育目的に活用することだった。大聖堂は宗教的な意味を持つが、この教育プログラムは、その世俗的な価値を再確認するために、大聖堂の歴史・文化に焦点を当てるアプローチに重きをおいた。それゆえ、ヴィクトル・ユーゴーはもちろんのこと、第二次世界大戦末期のパリ解放の際のドゴール将軍など、パリ・ノートルダム大聖堂にゆかりのあるフランスの著名文化人や政治家が取り上げられた。

教会には、火災後の数日間、何十人もの子供たちが描いた絵を始めとする、敬愛を様々な形で表したものが寄せられた。これらの自発的な贈り物は、「神の民の言葉」の最も真摯な表現であり、建物の再建のための寄付と見立てることができよう。このような自発的な行動を受けて、2019年10月15日、パリ大司教ミシェル・オプティ氏は記者会見で、「Draw me Notre Dame」と題するプロジェクトを発表した。このプロジェクトはカトリックの学校に次々と採用され、絵が描かれ、集められた。その中から大司教が50枚の絵を選び、選ばれた絵はノートルダム大聖堂前広場で展示されている。

訳注*:フランス共和国を象徴する女性像。自由の女神として知られる。

Chapter 3  意見・要望

尖塔の復元を求める請願書 © Photographie : mrugala.net. Annotation : CJSG. Change.org, 17 avril 2019.

ニコラ・フィケ (訳:河野俊行)

政策決定プロセスへの参加要求が高まるにつれ、意見表明の方法として請願が多く用いられるようになっている。そのため、オンライン請願プラットフォームは、ここ数年、空前のブームとなっている。オンライン請願プラットフォームは、誰でも簡単にアクセスでき、請願書を書いたり署名したりすることで、ある目的を支援することができる。ソーシャルネットワークは、それらを拡散し、彼らの主張をより明確にすることに貢献している。他方、この手法は、公式メディアを通じて自分の主張を伝えるのに苦労している人々に声を上げる場を与えることで、逆説的な現象に関与している。すなわち、民主的なプロセスに必要な自己表現の場を提供する一方で、それは「感情の社会」を促進し、その結果個人や集団の感情操作が政治的な離反を伴うことが多いのだ。哲学者ジャン=ポール・サルトルは、「動かされた良心は、眠ってしまった良心とよく似ている」と我々に警句を発している。

4月15日、最初の請願書が寄せられ、それは大規模な動きに発展した。次の数日間で、フランス国内だけでなく、世界中から多数の請願書が寄せられ、フランス国内だけでも170件以上に上った。請願者と同様に、請願内容も多岐にわたっている。請願書には、レゴのファンから歴史愛好家まで、著者の趣味が反映されていた。また、現代社会の感性、特にエコロジーに関する感性による請願もあった。例えば、屋根を復元するために樹齢100年のオークを伐採することに抗議する請願書もあった。修復に関する政府の決定に関しても、数週間にわたって請願が提出された。近代的な修復を支持して、ガラスの尖塔や植栽された屋根を採用するよう求める声もあったが、大多数は火災以前の姿に忠実な復元を求めていた。当時のフランスは「黄色いベスト」運動で揺れ動いており、ある請願者たちは、ノートルダム大聖堂の修復のために寄せられた多額の寄付金が、最も貧しい人々に向けられていたならと憤慨をあらわにした。こうした請願書のいくつかは、大聖堂のために集められた寄付金の一部を、世界中のホームレスや自然災害の犠牲者に分配することを求めて、大聖堂のために、違った普遍性のあり方を主張した。